書くのが苦手な人、必読の1冊があります。
それがこちら。
フリーランスライター古賀史健さんの「20歳の自分に受けさせたい文章講義」
一言で言うと、自分も書けるようになるかも!と思わされる1冊。
今まで、というかこうやってブログを書いている今でさえも、書くことは苦手だと思っています。
でも、自分の思いを伝えたい!発信したい!と強く思うようになったとき、書いて伝えることは必須だと思ったんです。
そんなときに出会ったのがこの本でした。
書けるようになるには?
書くのが苦手な人って、「話すように書けない」んですって。
はい、まさにその通りです。それができたら苦労しないよ!
文章を書くには、書こうと思って書くんじゃなくて“翻訳”するんだと。
翻訳の対象は頭の中に巡っている感情、気持ち、もっとぼんやりしたイメージなどなど、とにかく頭の中丸ごと。
それらを自分の頭で整理・再構築して自分の言葉に翻訳して、アウトプットすることが書くことなんだと。
この“翻訳”という概念は、言われてみるととてもしっくりきます。
例えばある映画を見たときに、役者の演技、台詞、間、話の流れ、画面のトーン、色味、全体的な雰囲気などインプットはたくさんあるのに、結局口を開けば「良かったね〜。」の一言。
書けないというのは何も考えていないわけではなく、そのインプットを適切にアウトプットできていないんですよね。
それをできるようにするには、“翻訳”という作業が必要だと筆者は言います。
書けるようになるとどうなる?
「書くこととは、考えることである」
頭の中の感情やイメージを自分の頭で整理・再構築(翻訳)して、アウトプットすることが書くということ。
その段階を踏むことは、イコール考えることそのものです。
ブログを書き始めてまさに実感しています!
書けば書くほど、思考の幅や深み、充実度が増してきています。
自分には文才がないから、別に書く機会なんてないから、と書くことから遠ざかっている人にこそ読んでほしい1冊。
これだけSNSが浸透し、発信するプラットフォームが増えてきたこの時代。
書くことで伝える技術はもっともっと必要になってくるでしょう。
一朝一夕で身につくものじゃないからこそ、今読んでみませんか?
現役ライターさんの本だけあって、最初から最後まで凝縮された内容でした。
読むだけでもかなり勉強になりますよ\(^^)/
自意識過剰の壁
SNSを使っていて非常に思うこと。
自意識なんかいらない。
小さい頃から「人様の迷惑になることだけはするな」「相手の立場になって物を考えなさい」と言われ続け、忠実に守ってきました。
その結果、いらぬ自意識まで持つようになってしまいました。
「これを書いたらみんなはどう思うだろう」「こんなこと言って変に思われないかな」・・考え出したらきりがありません。
日本には空気を読む文化があります。
その場の空気を察して行動することが求められる環境で育ってきているため、日本人は自然と相手の気持ちを考える癖がついています。
だから、あえて自意識を感じる必要はないと考えます。
もちろん、好き好んで自意識を感じている人は少ないでしょう。
もうちょっと自分をさらけ出したいけど他人の目が気になる、という方が多いのでは。
そういうわたしもそうでしたし、今も完全にそこから抜け出せたわけではありませんが、一つ言えることがあります。
もっと自分を認めて、信じてあげよう!ということ。
「自分ってそんなに悪い人間じゃないし、いいところもまぁまぁあるよなぁ・・。」
だったら、多分、必要なものは既に持ってるんです。
わざわざ自意識で自分を抑えつける必要は全くなくて。
今必要なのは、自意識で自分をコントロールする方じゃなくて、ありのままの自分をさらけ出す方で、わたしはそうするし色んな人のさらけ出しを見てみたい。
一度きりの人生、自意識ばかり気にしていては面白くないですよね?
他人のさらけ出しを見るばかりじゃなくて、自分だってそうすればいいんです。
自意識なんて感じている暇ないくらい熱中するものを見つけてみたり、とにかく色んなところに出かけてみたり、色んな人に会ってみたり。
やり方はいくらでもあって、今はそれを発信する舞台もたくさんあるいい時代。
壁、乗り越えたら景色が変わるはず!(身をもって実験中!)
書く=思考の整理
最近になってやっと、ブログを始めました。一緒にTwitterも。
今まで見る専門だった2つを始めて思ったのが、書くことで思考の整理ができる!ということです。
ひたすら苦手だった「書く」行為
正直なところ、書くことはずーっと苦手だと思ってきました。
感じる力、汲み取る力はどんどん成長していくのに、アウトプットする力は一向に伸びない‥。
それには大きな理由があります。
自分の考えを的確に書いて伝える術を、誰にも習ってこなかったから。
そして、大人になった今アウトプットを実践する機会がないから。
今回は後者について。
アウトプットする場は作ればいい
今は幸運なことに、アウトプットのためのプラットフォームがたくさんあります。
ブログやSNS、最近はnoteやMediumといったSNSとブログの中間のようなサービスも。
伝えることが苦手だと自覚していて、それを克服したいのであれば使い倒さない手はありません。
他人のアウトプットをひたすら眺め続けるのも結構消耗するものです。
といってもわたしはずーっと逃げていたんですけどね。笑
とりあえず始めないと何も始まらない!と思って開設したこのブログとTwitter。
まだ数日ですが大きな発見が一つ。
「考える」から「書く」ことができるんじゃなくて「書く」から「考える」ことができるんだ!
書く=思考の整理
いざ書こうと思うと、なかなかパソコンを打つ手が進まない‥なんてこともしばしばありますが、それはつまり自分の考えを整理できていない証拠。
思考があっちやこっちや向いて散らばっているから書けないだけ。
「書く」という行為は、それ自体を通じて思考を整理することができて、なおかつ伝えることができる最高のコミュニケーションツールだ!と思うようになりました。
わたし自身、まだまだ書くのは苦手でこの記事も言いたいこと全っ然伝えられていません。笑
ですが、最初はそれでいいと思っています。
初めからライターさんやブロガーさんのような記事が書けるわけがないんです。
何事も最短距離は続けることだと思っているので、とにかく書くのみ。
書くことで思考の整理の精度をどんどん上げていこうと思います。
これから書く楽しさをもっと感じられると思うと楽しみ!!
ちなみにTwitterアカウントは田中美聡 (@misato4414) | Twitterです!
フォロワー1桁なので、哀れに思った方は是非フォローしてください。笑
今の所知り合いのフォローしてないのでこんなことに。笑
最後に。
苦手だ苦手だと思っているものには、案外宝箱が眠っているかもしれないですよ\(^^)/
読了メモ『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』
イケハヤさんが地元の鳥取県に来ていたそうで!
行き先は智頭町!
智頭町というと杉の名産地で四方八方が山、な場所です。
そんな町で今話題を集めているのがパン屋「タルマーリー」。
こちらのパン屋何がすごいって、菌を自分で作っているところ!
市販のイーストは一切使用しない、という姿勢。
やはり知っている人は知っているんでしょうか?
Facebookのいいね数は1万を超えているあたり、地元民はあんな山奥からすごいな
と単純に思ってしまいます。
そんなタルマーリーを経営されている渡邉夫妻。
ご主人さんが以前書かれた本があります。
イケハヤさんの記事を見て、久しぶりに読んでみました。
搾取する資本家と搾取される労働者
話はパン職人としての生い立ちとともに、マルクスの「資本論」をベースに現代の資本主義市場を説明しています。
そこで問題視されるのが資本家と労働者の関係性。
労働という商品を資本家に提供する以上、労働者は搾取される一方。
自然の循環を無視した非人間的な行為がまかり通ってしまうのです。
皮肉なのは、資本論第一部が発表されてから約150年経つというのに、今の日本の状況はこれと同じなんじゃない?という点。
世の流れが急速に変わっていることに気づかず、稼ぎどころを変えようとしない。
その結果、労働者はレッドオーシャンな市場へ投入され続け疲弊する。
なんだか退職前の自分を見ているようでゾッとします。
地域通貨のようなパンを
タルマーリーは近隣で採れた野菜や信頼できる素材を厳選して使い、無駄に安売りすることはせず、「適正に」高く売ることを実践しています。
つくって売れば売るほど、地域の経済か活性化し、地域で暮らす人が豊かになり、地域の自然と環境が生態系の豊かさと多様性を取り戻していくパンーーー。
僕らは、地域通貨の発想を、パン屋なりにアレンジして発展させ、「利潤」ではなく、「循環」と「発酵」に焦点を当てた、「腐る経済」に挑んでいる。
前職で感じていたのは、稼げば稼ぐほど良いのか?という疑問。
お客さんを金ヅルとしてしか見られなくなってしまったのです。
自分なりに考えた結果、稼ぐことを悪だと感じてしまうのは「もらったお金は自分のものだ」という消費目線の考え方のせいだと気づきました。
単なる「消費」に費やすのではなく、これにならお金を払いたいと思えるものに「投資」していけばいいんだ。
そうしたら自分にとってもプラスだし、相手にとってもプラス。
こうやって「循環」させるために稼ぐのであれば、稼ぐことは悪くないなあと思うようになりました。
最初から最後まで中身のぎっしり詰まったこちらの本。
気になった方は是非一度、お店まで行ってみてください。
読了メモ『ぼくらのリノベーションまちづくり』
鳥取では今新たなまちづくりの手法として「リノベーション」がキテる。
と思うのも、多分わたしの周りにリノベ界隈の人が多いせいだろう。
2度目の読了のこちら。
ほしい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり
- 作者: 嶋田洋平
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2015/05/28
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
リノベーションの本筋とわたしたちの望む生き方はリンクしている?
リノベーションという概念は建物だけではなくて、「まち」だったり、もっと言えば「働き方」や「暮らし方」にも当てはまるものだと著者は言う。
実際に鳥取市ではリノベーションスクールという、遊休不動産を利活用して新たなビジネスを生み出す実践の場を一昨年から開催している。
実際に事業化しているカフェもあり、著者の考え方も割と近いところに感じられる。
間違いなく人口減少に向かい、労働人口が減っていく日本。
高度経済成長期やバブル期のようなド派手でじゃんじゃんモノを作っていた頃とは違う今の時代。
大企業に勤めていれば安心、資格を持っていれば一生安泰、といった時代は過ぎ去った今、働き方や生き方は自分で選択できるものという考え方が台頭してきている。
一つの専業だけを持って生きていくより、小さくとも複数の仕事を持って一人が多様なスキルを持つ方向に流れていくだろう。
そして、わたし自身今後はそんな生き方を望んでいる。
今まで超絶日本的な生き方しか知らなかった、見て見ぬ振りをしていたけれど、選択していいんだ!と気付いたときから現実的に捉えるようになった。
現在絶賛無職なわたしだけど、働き方や生き方を自分で選んでいいと思ったら、もうなんでもありだ。
何をするにしても、目の前の人を大切にして、自分に正直に生きていくことだけがわたしの軸だ。
ということを改めて気付かせてくれたこの一冊。
読了メモになっていない気がするけれど(笑)、とってもオススメです!!!
リノベーションに関心がない人も、一度読んでみるとリノベーションのイメージが変わるかもしれません。
読了メモ『悩みどころと逃げどころ』
巷で話題のこちらの本。
2回読みました。今年読んで良かった本No.1です、間違い無く。
多分、しばらくはことあるごとに読み返しそうです。
なぜそこまでハマるのか?
それは、わたしが完全なるちきりんさん側だからです。
ちきりんさん程のエリートコースは歩んでいませんが、今まで歩んできただろう道や、根底にある思想の部分がダダかぶりなのを、読んでいてひしひしと感じます。
とても印象に残っている部分はこちら。
ウメハラ 親や教師は、まんべんなくやらせておいたほうが安心なんですよ。そのほうが、子どもの可能性が広がってくように見えるから。
ちきりん さっきの話ですよね。でも多くの選択肢をできるだけ遅くまで残しておくのって、時間を無駄にしてるだけとも言えるんです。ウメハラさんを含め何かの分野で一流になる人って、みんな中学生くらいには頭角を現してるでしょ?
でも実は私、それって普通の子も同じだと思ってるんです。レベルは違うけど、14歳にもなったら自分が好きなコト、適性があるコトは、おぼろげながらわかり始めてる。でもレベルがそこまで高くない子は、ホントにそれが自分の道なのか、今すぐ確認しろと迫られたりはしない。だから何も選ばずに、みんなと同じコトをやり続ける。
だけど私だって中学生くらいから何かを集中的にやってみてたら、とりあえず全科目勉強していい大学に進む、みたいなのとは違う人生があったかもしれないと思うんです。
ウメハラ ちきりんさんでもそう思うんだ・・・。学校だけじゃなく日本の社会全体が“なんでもソツなくこなす人”が優秀だと思ってるからかな。
ちきりん だから“なんでもソツなくこなせるけど、何ひとつ特別じゃない”人ばっかりになっちゃうんですよ。
まさにわたしがこの、“なんでもソツなくこなせるけど、何ひとつ特別じゃない人”なんですよね。
よく言われた「日本ではジェネラリストが、アメリカではスペシャリストが重宝される」みたいな話。
完全なるジェネラリストの道を地で行っていたことに気づいたのは、就職して数年経った頃でした。
自分の好き嫌い・得手不得手について、何にも考えずにただ学校のオベンキョウだけをしてきて、敷かれたレールに乗って就職をした人間は自分の頭で考えることをしないから今の時代全く通用しません。
かといって20数年間“ソツなくこなす”方法ばかり学んできた人間にとって、いきなり何かに集中しなさいと言われても、果たして自分は何が好きなのか自分には何が向いているのか、さっぱり分からないんです。
まず、やってみよう。
そんな人にオススメなのが、何でも「まずやってみる」こと。
はっきり言ってやってみてもあんまり楽しくないな、向いてないな、と思うことはたくさんあります。
けれど、それでいいんです。そうやって、「やってみたけどなんか違うな」から学ぶことはたくさんあります。
なんで楽しくなかったのか、だったらこれなら楽しいんじゃないか、と次に繋がるヒントがたくさん隠れています。
本当はそういった作業は10代の頃に済ませておくべきです。しかし、今の日本ではそのような教育システムになっていません。
だったら、多少遅くても今すぐにでも始めるべきなんです。
生活にハリがない人、何か物足りない人、仕事に満足していない人。
毎日一つずつでも何かに挑戦してみましょう。
新たな自分との出会いがあるはずです。